海外から日本に帰国すると、日本人のセルフエスティーム(自己肯定感)の少なさを感じます。
簡単にいうと自分に自信を持っていない人が多い。だから他人と同じことをしたがるし、他人と壁を作って自分自身を守ろうとする。
一つのことに特化した面白い人材になればいいのに、他の人と同じことをやって、安全圏に留まろうとしているようにも見えるのです。
今の日本の学生に足りないのは自己肯定感ではないのか?と危機感を覚えます。
海外生活を経験した筆者から見えた意見をあげてみます。
個性を出すのは悪いこと?
私はまだ二十歳で一般社会の風潮はあまりわかりませんが、学生を例にとって見ていきます。
小学校・中学校・高校と日本の教育には校則が存在します。校則に従わせることは、今後の社会を生きていく上で大事な協調性を身につけるために大事なことで、不必要なものだとは全く思いません。
ルールがなければ混沌とした世界が生まれてしまいます。
ただその校則に対して、「そこは違うんじゃないの?」と思うことがあります。特に見た目に関する校則です。
学校で指定した制服を着ることを強制され、決められたルールからなんとか逃れようとする学生は、髪の毛を染めたり、ピアスをつけたりすることで自分を表現しようとします。
そういった自分を表現しようとした生徒は異端児として見られ、罰を受け、強制的にルールに従った人へと変えられていきます。そこで矯正されない人は社会という集合体から省かれていきます。
そういう意味で日本は残酷な社会です。社会が決めた人間性を持っていなければ省かれていくのですから。
そのようにルールという足かせをお互いにはめ合い、生きづらい世の中を形成していく。
そんな社会で生活していたいですか?自分と違う人を批判するのもうやめませんか?
個性はダイヤモンドの原石
個性は素晴らしいものであると思います。一人一人がとても素晴らしい個性を持っていて、誰にでも最高に輝ける素晴らしい舞台を持っています。
ジブリ作品に「耳をすませば」という映画があります。
その中で骨董品屋のおじいちゃんが、高校三年生で進路決定に悩んでいた主人公の雫にダイヤモンドのたとえ話をしました。
高級な宝石として有名なダイヤモンド。結婚指輪なんかで使われるダイアモンドは、輝きを放っていて、とても美しく見えると思います。
ただ、磨いたり、カッティングをする前のダイヤモンドの原石は一切輝いていません。ただの石ころのように見えると聞きます。
でもその個性を生かそうと頑張って磨くことで、ダイヤモンドの原石は素晴らしい輝きを放つ宝石になります。
個性のダイヤモンドを磨くのは簡単ではありません。他人と同じことをやっていたらできることではなく、自分自身が自分と真剣に向き合っていくことで見つかります。
まとめ
私は日本を説明するときにはいつものように「出る杭は打たれる」ということわざを使います。
新しいことをしようとする人、違うことをしようとする人には何かしらのプレッシャーがかかります。
ルール、規範、暗黙の了解に反するから。今ある安定がなくなってしまう。既存のレールを外れてしまう。そんな恐怖を促すような言葉が自分の周りで生まれます。
でもその声に惑わせていたら、新しく面白い、刺激的なことなんてできない。今までと同じような退屈な日々を送ることになります。
もしも新しいことに挑戦しようとしている人、他人と違うことをしようとしている人は恐れずに挑戦してほしい。
そして周りの人はそれを叩かないで、サポートしてあげてほしい。
この記事に関連して、多様性のあるアメリカと、そうでない排他的な日本をファッションの観点から比較した記事があります。
インディアナ州のDePauw Universityというリベラルアーツカレッジでコンピュータサイエンスを専攻。現在はIndianapolisのITコンサルティング会社でSoftware Engineerとしてウェブ開発の仕事をしている。